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研究者業績

研究者リスト >> 佐藤 晴雄
 

佐藤 晴雄

 
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研究者氏名佐藤 晴雄
 
サトウ ハルオ
URL
所属武蔵野大学
部署教育学部 教育学科
職名教授
学位修士(中央大学大学院)
J-Global ID200901080561328449

研究キーワード

 
植民地 ,アメリカ南部 ,アメリカ現代文学 ,米国史

研究分野

 
  • 人文・社会 / 英文学、英語圏文学 / 

経歴

 
2011年4月
 - 
現在
武蔵野大学教育学部 児童教育学科 教授   
 
2003年4月
 - 
現在
武蔵野大学(学校名変更) 文学部 教授   
 
2012年4月
 - 
2014年3月
武蔵野大学大学院言語文化研究科 言語教職専攻 教授   
 
2010年4月
 - 
2012年3月
武蔵野大学大学院言語文化研究科 言語文化専攻 教授   
 
1996年4月
 - 
2001年3月
武蔵野女子大学 短期大学部 教授   
 

学歴

 
1980年4月
 - 
1983年3月
中央大学大学院 文学研究科 英文学専攻
 
1977年4月
 - 
1980年3月
中央大学大学院 文学研究科 英文学専攻
 
 
 - 
1977年3月
中央大学 文学部 英文学専攻
 

委員歴

 
1991年4月
 - 
現在
日本フィッツジェラルド協会  会員
 

論文

 
 
武蔵野英米文学   (43) 27-40   2011年2月   
Frederick Douglass 唯一のフィクション作品の、歴史的意義を明らかにしつつ、縦横に見解を加えた。その第一部。
 
中央英米文学   (36/37合併号) 44   2003年12月   
Frederick Bailey は、1818年2月、メアリランド州トールボット郡の奴隷農場に、奴隷の子として生まれた。幼名はただのフレッド、奴隷の生年など分からないのが普通だが、それが明らかなのは、若くして奴隷解放論者の名が、世に轟いたからに他ならない。彼は、演説家として、作家として活躍した。しかし、そこに至る道は、容易なものではなく、幼少年時代の奴隷生活で、奴隷監視人から受けた残酷な虐待の日々が、自伝 <I>Narrative of Frederick Douglass &...
 
中央英米文学   (第22号) 13   1988年12月   
昭和63年12月 1日。短篇「森の眺め」は開発推進と自然保護の衡突を題材にしているが、オコナーの言うようにこれは道徳劇だから、人物も道具立てもすべて抽象概念が象徴化されている。なかでも「森」がキリストの象徴になっているのは明らかで、それは人自身の中にある神性の反映でもある。その森の真の姿が主人公の老人に「見えない」のは、自身の中の神が「見えない」ことになる。神不在の時代とは、神が「見えない」不安にさいなまれる時代なのだ。
 
武蔵野英米文学   Vol.18 21   1986年1月   
昭和61年 1月10日。『夜はやさし』執筆当時のフィッツジェラルドの置かれていた状況の作品への投影を詳しくたどると、精神病の妻をかかえた苦しい中で彼がいかによく生き、よく書いたかが、如実に伝わってくる。数年後に死を迎えるまで、作者は主人公と同様に凋落の道をたどって非難され無視されるが、30年代の主流である思想や教条の骨格あらわな「やせた」小説とは全くちがって、ここには人生の希望や絶望で豊かに肉付けされた風俗画がある。
 
中央英米文学   (第16号) 11   1982年12月   
昭和57年12月 1日。民主主義の発揚をめざしながら実際には金権腐敗の世となった「再建の時代」にあって、そうした世相を庶民の側から痛烈に批判したホイットマンとマーク・トウェインは国民的な人気・支持を獲得し、全般に低調子な19世紀後半のアメリカ文学において、傑出した存在となった。だが、この両者に直接交流がなかったのはなぜか。文学史でも両者が対に論じられることがないのはなぜか、その謎を探る。

MISC

 
 
佐藤 晴雄   
武蔵野教育学論集 創刊号   (1) 99-116   2017年3月   
米南部作家M. K. Rawlingsの代表作<I>The Yearling</I>(1938)を取り上げる前段に、Pulitzer賞受賞などという小説の評価に負けない、同作品映画化のプロセスを、国立近代美術館東京フイルムセンター収蔵の<I>New York Times Encyclopedia of Film</I>他の当時の記事を元に明らかにする。小説の形でも映画の形でも、Rawlingsを味わう土台には、開拓時代の深南部の時代と言語と文...
 
武蔵野大学文学部紀要   (第10号) 13   2009年3月   
Caroline郡の往時をさらに追う。MD州<東岸>の中では、比較的おそい時期に成立した同郡の経済や社会水準を引き上げたのは、奴隷労働力によるタバコプランテーションの興隆である。タバコ史を追ってゆくと、17~18世紀の同郡の黒人・白人の生活が浮かび上がってくる。
 
武蔵野英米文学   (第41号) 31-65   2009年3月   
19世紀前半、MD州は急速にemancipationが進展してゆく。その要因として、Nicholites教派の奴隷制忌避運動と共に、American Colonization Societyによるアフリカ植民(帰還)運動がある。植民先はアフリカのみならず、米国内でも、KS州に黒人の波が押し寄せた。MD州でemancipationが進み、解放奴隷人口がどの様に動いたのかを追ってゆくと、1830年代にBaltimoreに移動した300余人の中にAnne Murray一族が含まれる可能性が見えてくる。
 
世界文学   (108号) 16   2008年12月   
2007年9月、MD州<東岸>のCaroline郡を踏査渉猟して得た資料を元にCaroline郡の成立ちを追う。Murray一族の直接の痕跡は何も出てこないけれども、courthouse,Public library,Choptank River,Tuckahoe Creek,郡南Prestonの水車小屋など巡り歩くと、入手した資料と風景を通してMurray一族の残滓に触れる思いがする。同郡の成立に深く関るRobert EdenとCarolineの盛衰も、地元紙の探索でかなり明かすことができた。
 
世界文学   (107号) 11   2008年7月   
19世紀の米国社会が“Color-blind”であって欲しいと念じ、奴隷制度廃止を始めた様々な社会活動に身を奉じたFrederick Douglassも公的生活と私生活は常にきしんでいた。名声をあげてからの白人女性らとの付き合いは、後半生を騒がしいものにしたが、その騒音にまぎれるように、妻Anneの存在は稀薄になってゆく。出自から曖昧模糊としたAnne Murrayの実像を明らかにする試みに、連続して取り組む第一弾である。

書籍等出版物

 
 
中央英米文学会編(担当:共著)
松柏社   2007年3月      
「リパブリック讃歌」にヒントを得て進めたジョン・ブラウン探訪記。ウェスト・ヴァージニア州に2夏をにわたり、ジョン・ブラウンの足跡をたどった現地調査に基づいて、ジョン・ブラウン短い生涯をたどり、この「風来のアボリショニスト」の素顔に接近を試みる。暴力的な活動は批難もされたが、エマソンら超絶主義者から賛辞も寄せられた。論文「ジョン・ブラウンの遺骸は朽ち果てても」に補筆した。
 
武蔵野大学出版会   2006年1月      
2002年NC州留学中の研究対象にした、奴隷制廃止論者F. Douglassの半生を、奴隷制の完全支配下にある19世紀MD州の歴史・地域研究の視線でとらえた。タバコ大プランテーション経営のため、許されざる必要悪として維持された奴隷制の吹き溜まりの中から、神童が生れる。二番目の主人はボルティモアの造船業者で、19世紀初頭の造船波止場で、白人悪童から食料と引き換えに読み書きを身につける。漠然とあった「自由への憧れ」は、「アボリッショニスト」の意味を知って急加速、二十歳で北部逃亡を決行。独学の雄...
 
開文社出版   1998年3月      
1996年9月6日、米ユダヤ系作家ハイム・ポトクをフィラデルフィア郊外の自宅に訪ね、取材に応じてもらった。ポトクはMy Name Is Asher Levなど、NYブルックリンを舞台にした、神童的ユダヤ少年の成長物語で世に出て、ベストセー作家の仲間入りをした。同じユダヤ系のマラマッド作品、ロス作品のユダヤ人が米国社会に同化してゆく「同化主義者」であるのに対して、ポトク作品の主人公らは「20世紀米国社会との相互作用」の渦の中でもまれ成長する。(2004年急逝したポトクの)最後の小説が朝鮮戦争...

講演・口頭発表等

 
 
中央英米文学会講演会   2003年12月   
NY、ロナルド・マクドナルド・ハウス─病気の子供と家族の心のケア。これは小児癌などの重病の、子供の親のための廉価な宿泊施設で、子供の病気には親の付き添いが必要だが、NYのような大都会では、ホテルだと一泊何百ドルもかかる。名前からも分かる様に、ドナルド・マクドナルド社が半分ほどの出資、あとは寄付で賄っている一泊20ドルの宿泊施設、両親の経済状況で無料の場合もある。ここを滞米中訪問し、所長の秘書とchaplain(教戒師)にインタヴューしてきた。(刑務所等の)教戒師という日本語のニュアンスと...

所属学協会

 
 
   
 
日本アメリカ文学会

Works(作品等)

 
 
2012年2月   その他
昭和40年開設の、武蔵野女子大学 文学部英米文学科 (のち武蔵野大学 英語・英米文学科) では、昭和41年に武蔵野女子大学英文学会を創始。44年から刊行が始まった『武蔵野英米文学』 は、営利万能の世の潮流に抗しえず閉鎖される学科の終焉に先んじ、最終巻44号を刊行した。論文のほかに退職教員・卒業生らから寄せられた47篇の寄稿と相当数の写真を掲載。末尾に編者が講演会記録の体裁で、学科に貢献された初代主任教授・文芸評論家の本多顕彰ほか、歴代の講演者の、詳細なプロフィールをえがく。
 
1996年9月   その他
平成 8年 9月 5日。ユダヤ系現役作家ハイム・ポトクとの対談。宗教のはなしから新作 I Am the Clayの執筆経緯など多岐にわたってみのりある話ができた。(120分)
 
1990年12月   その他
平成 2年12月20日。短篇作家フィッツジェラルドについてと収録の3作品の解説。フィッツジェラルドは長篇を書くためのゆとりをつくるためと乱脈な家計を支えるために生涯短篇を書きまくったが、意外にやっつけ仕事でないものも多い。派手な生活を好むのも一面なら、律義な職人的プライドから短篇に打ち込むのも彼の一面だ。収録作品は、荒々しい若書きのものや、中期の研ぎすまされたセンチメンタリズムの作品など。
 
1989年10月   その他
平成 1年10月23日「世界の文学」第17巻『アメリカ2』収録のスコット・フィッツジェラルドおよび代表作『偉大なギャツビー』の解説。フィッツジェラルドは、繁栄に惑乱された第一大戦後の「失われた世代」の中から一躍おどり出し、野心と挫折の繰り返しによって幼稚さを脱却していった。『偉大なギャツビー』については、成立過程を伝記的資料および原稿との異同をチェックして、ギャツビーの夢の振れの大きさをあぶり出した。
 
1988年12月   その他
昭和63年12月 1日。フィッツジェラルドの収入記録である「出納簿」と、わずかながら残っている支出記録の数字を整理して辿っていくと、仕事が好調なときも低調なときも乱脈な経済を続けていたのが分かる。短い生涯におびただしい数の短篇を書いたのも主として金のためだが、それだけにつねにプロの意識を失わなかったのも事実だ。サーバーがユーモアまじりにその果敢さを称えるのも、彼の感受性が人生の希望に対してつねに「高感度」だったからだ。

社会貢献活動

 
 

 2002年9月 - 2003年3月
 

 2002年6月 - 2002年9月