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研究者業績
研究者リスト
>>
佐藤 裕之
編集
佐藤 裕之
研究者氏名
佐藤 裕之
サトウ ヒロユキ
URL
所属
武蔵野大学
部署
通信教育部 人間科学部
職名
教授
学位
修士(東京大学大学院), 文学博士(東京大学大学院)
J-Global ID
201701000017529162
研究キーワード
仏教学
,
印度哲学
研究分野
人文・社会 / 文学一般 / ヒンディー語文学
人文・社会 / 中国哲学、印度哲学、仏教学 /
経歴
1
2
3
>
2016年4月
-
現在
武蔵野大学大学院通信教育部 仏教学研究科 仏教学専攻 教授
2016年4月
-
現在
武蔵野大学大学院仏教学研究科 仏教学専攻 教授
2012年4月
-
現在
武蔵野大学通信教育部人間科学部 人間科学科 教授
2008年4月
-
現在
武蔵野大学 通信教育部 主任
2001年10月
-
現在
武蔵野女子学院 エクステンションセンター・三鷹サテライト教室 非常勤講師
学歴
1992年1月
-
1994年1月
ウッタル・プラデーシュ州立サンプールナ・アーナンダ・サンスクリット大学 哲学部 ヴェーダーンタ学科PhD.コース
1988年4月
-
1993年3月
東京大学大学院 人文科学研究科 印度哲学印度文学専攻
1985年4月
-
1988年3月
東京大学大学院 人文科学研究科 印度哲学印度文学専攻
委員歴
2016年4月
-
現在
比較思想学会 編集委員
2013年
-
現在
比較思想学会 理事
2011年
-
2013年3月
比較思想学会 研究奨励賞選考委員
受賞
1999年9月
日本印度学仏教学会賞受賞
論文
1
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3
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スバドゥラー・クマーリー・チョウハーン作「ジャーンシー・キー・ラーニー」翻訳
佐藤 裕之   
武蔵野大学仏教文化研究所紀要 35 2019年3月
インド哲学における世界生起説-『ヴェーダーンタ・パリバーシャー』を中心にして
佐藤 裕之   
武蔵野大学人間科学研究所年報 2 39-52 2012年3月
解脱の定義と常住性をめぐって
佐藤 裕之   
『松濤誠達先生古希記念 梵文学研究論集』 483-496 2007年2月
<喜び>と<悲しみの滅>-アドヴィアタ学派における解脱の定義をめぐって-
印度学仏教学研究 47-1 6 1998年12月
解脱は、仏教も含めたインドで<悲しみの滅(あるいは、苦しみの無)>と定義されることが一般的であるが、アドヴァイタ学派では<喜び(楽)の獲得>も定義と考える。ここには<悲しみの滅>は<喜び>と同じなのか異なるのかという問題があるが、定義の方法・目的の観点からは、前者の定義は全く否定されず、後者の定義は仏教等において否定されるから、前者を「報告的定義」、後者を「規約的定義」と解釈することができる。
インドにおける知覚の定義方法
印度学仏教学研究 45-2 5 1997年3月
インドで知覚はさまざまに異なって定義されるが、その定義方法の相違をさぐった。定義方法には、「語義解釈による定義」と「発生原因を述べる定義」があったが、知覚の定義の相違は語義解釈が定義になるか否かの問題に関係している。さらに「否定的表現による定義」もあるが、それには一定の前提が必須であり、無条件に許されるものではない。知覚の場合には、定義方法の相違が定義の相違を生み出す一つの理由である。
MISC
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人間-理性的動物によせて-
仏教文化 34 11 1995年12月
人間を例にして、定義に関わるさまざまな問題検討した。アリストテレスは人間を「理性的動物」と定義したが、問題がある。生れたばかりの人間に理性は認められないから適用範囲が狭すぎるし、潜在している理性であると解釈しても、その顕現は人間であることをすでに前提にしている。さらに理性的なものは動物に限られるから「理性的動物」という表現は簡潔性を欠く。
svaprakasa-Tattvapradipika における定義を中心にして-
前田専学博士還暦記念論集「我の思想」 12 1991年10月
svaprakasa(自己光照)はアートマンの認識をめぐって主張された理論である。光は闇を照らすと同時に光自身も照らし光を照らすために別の光を必要としないように、アートマンを認識するためには他の手段を必要としないという理論である。チトスカ(13世紀頃)は『タットヴァ・プラディーピカー』の中でこの svaprakasa の定義を検討し、最終的に「他によって知られず、直接的に言語表現されること」という定義を与えた。
書籍等出版物
仏教と気づき
武蔵野大学出版会 2016年8月
ブッダ:今を生きる言葉
パイ インターナショナル 2012年5月 (ISBN:9784756240927)
仏教最前線の課題
武蔵野大学出版会 2009年1月
平成21年1月8日第四章「仏教思想における人間形成-煩悩論の観点から」を執筆。心理学では「発達」として人間形成の問題が論じられるが、仏教思想でそれが論じられることはほとんどない。本論文では、煩悩の生起と消滅という点から仏教思想における人間形成の問題を論じた。根源的な煩悩である無明があり、成長するに伴い、無明を原因としてそれ以外の煩悩が生じてくる。そして、最後には原因である無明がなくなり、他の煩悩だけが残る。これらの点を心理学の「欲望」と比較して論じた。
田中教照[編・著]田中教照、山崎龍明...
仏教と「十牛図」
角川書店 2005年5月
上記「仏教(自己を見つめる)」の市販本
アドヴァイタ認識論の研究
山喜房仏書林 2005年3月
本書は、17世紀に活躍したとされるアドヴァイタ学派のダルマラージャ(Dharmaraja)が著した『ヴェーダーンタ・パリバーシャー(Vedantaparibhasa)』の研究である。第1部では、ダルマラージャの認識論の構造を解明し、第2部は『ヴェーダーンタ・パリバーシャー』知覚章の訳注研究である。訳出にあたっては、底本とした S.S.Suryanarayana Sastri 本以外の13の公刊本を参照し、異読を示し、語索引と定義・分類索引を付した。
講演・口頭発表等
1
2
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<喜び>と<悲しみの滅>-アドヴィアタ学派における解脱の定義をめぐって-
日本印度学仏教学会 1998年9月
解脱は、仏教も含めたインドで<悲しみの滅(あるいは、苦しみの無)>と定義されることが一般的であるが、アドヴァイタ学派では<喜び(楽)の獲得>も定義と考える。ここには<悲しみの滅>は<喜び>と同じなのか異なるのかという問題があるが、定義の方法・目的の観点からは、前者の定義は全く否定されず、後者の定義は仏教等において否定されるから、前者を「報告的定義」、後者を「規約的定義」と解釈することができる。
インドにおける知覚の定義方法
日本印度学仏教学会 1996年9月
インドで知覚はさまざまに異なって定義されるが、その定義方法の相違をさぐった。定義方法には、「語義解釈による定義」と「発生原因を述べる定義」があったが、知覚の定義の相違は語義解釈が定義になるか否かの問題に関係している。さらに「否定的表現による定義」もあるが、それには一定の前提が必須であり、無条件に許されるものではない。知覚の場合には、定義方法の相違が定義の相違を生み出す一つの理由である。
無知はいかにして知られるか-アドヴァイタ学派におけるavidyaのpramana論-
仏教思想学会 1996年6月
インドにはわれわれは迷っているという世界観・人生観があり、その根本原因に無知(avidya、無明)を立てる。この世界観・人生観が正しいなら、無知は存在するはずであり、それを知る方法もあるはずである。こう考えて、アドヴァイタ学派は無知を知る方法を問題にした。「無知を知る」という矛盾を含んだ問題だけに、主張される方法は直観というものだが、この問題への取り組みがアドヴァイタ学派の認識論形成のきっかけになった。
「定義」について-インドと西洋の比較研究-
比較思想学会 1995年10月
「定義」の「最近類+種差」という定式、「定義は本質を述べる」というテーゼ、および「定義可能性」という西洋哲学の問題をインド哲学との比較で論じた。インドにも「同類と異類を排除するもの」という定式があり類似しているが、基本的発想には相違が見られ、テーゼはインドにとって二次的な意味での「定義」にすぎない。さらに西洋では定義不可能なものを認めるが、インドでは全てのものが定義可能であると考えている。
認識の因果論-アドヴァイタ学派の見解をめぐって-
日本印度学仏教学会 1995年6月
アドヴァイタ学派の認識論の特殊性に注目し、認識の因果論を他学派との比較を通して発表した。インドでは認識を直接的認識と間接的認識に大別するが、認識の因果論とはこれらの認識とその区別を生み出すものとの関係である。インドでは一般に認識を成立させるもの(認識手段)と認識の関係を考えるが、アドヴァイタ学派は認識対象と認識の関係を考える。従って、この学派の認識論は認識対象に重要な役割を与えていることになる。
所属学協会
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東方学会
仏教思想学会
インド思想史学会
比較思想学会
日本南アジア学会
Works(作品等)
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ヒンディー語映画「バレリーのバルフィ」日本語字幕制作
佐藤 裕之 2109年9月 芸術活動
ヒンディー語映画「プレーム兄貴、王になる」日本語字幕制作協力
佐藤 裕之 2020年2月 芸術活動
ヒンディー語映画「盲目のメロディ〜インド式殺人狂騒曲〜」日本語字幕制作協力
佐藤 裕之 2019年11月 芸術活動
ヒンディー語映画「人生は二度とない」日本語字幕制作
佐藤 裕之 2019年11月 芸術活動
ヒンディー語映画「フライング・ジャット」日本語字幕制作
佐藤 裕之 2019年9月 芸術活動
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