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研究者業績

研究者リスト >> 福田 孝
 

福田 孝

 
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研究者氏名福田 孝
 
フクダ タカシ
URL
所属武蔵野大学
部署文学部 日本文学文化学科
職名教授
学位文学士(筑波大学), 文学修士(筑波大学大学院)
J-Global ID201701021275185947

経歴

 
2017年4月
 - 
現在
武蔵野大学文学部 日本文学文化学科 教授   
 
2012年4月
 - 
2017年3月
武蔵野大学文学部 日本文学文化学科 准教授   
 
2012年4月
 - 
2014年3月
武蔵野大学大学院言語文化研究科 言語教職専攻 准教授   
 

学歴

 
1983年4月
 - 
1987年3月
筑波大学大学院 博士課程文芸・言語研究科 日本文学
 
1979年4月
 - 
1983年3月
筑波大学 第2学群 比較文化学類
 

論文

 
 
福田 孝   
汲古   (69) 14-21   2016年6月   [査読有り]
雲州本「後撰和歌集」はすでに活字翻刻がなされているものの、実見すると実態と異なった活字翻刻がなされていることが分かる。詞書や左注の翻刻等が写本どおりになっていない箇所があり、また部立名を後時に書き直した箇所があることや奥書が一部後時に補入されていることについての指摘も無い。これらをしっかりと認識すると、雲州本が持つ非定家本としての価値が再確認できる。
 
解釈   六十一(三・四) 38-45   2015年4月   [査読有り]
大伴書持作とされる「追和大宰之時梅歌新歌六首」(巻十七)は解釈が難しいことで名高い。中でも3904番歌は最も難解な歌として知られる。上三句について疑問文の有り様と動詞「厭ふ」の用例とから「梅の花よ、いついつには手折らないようにしようといって(お前を)嫌っているわけではないのだが」とし、下二句について形容詞「惜し」の用例から「咲いている真っ盛りには(このまま散ることになるのが)残念なことだ─満開の今のうちに手折りたく思われるよ─」として新しい解釈を提示した。
 
解釈   六十(三・四) 56-59   2014年4月   [査読有り]
万葉集巻七旋頭歌の冒頭一首の下句「真袖もち 着せてむとかも 夏草刈るも」の解釈は、『全註釈』『注釈』以降「〈真袖もち 着せてむ〉とかも 夏草刈るも」と、「真袖もち」が直下の「着せてむ」に掛かる解釈がなされてきた。しかし「真袖もち」を「真袖でもって」と解釈すると、「着せてむ」への掛かり方は陳腐なものとなってしまう。「着せてむとかも」を挿入句と見、『全註釈』『注釈』以前のように「真袖もち …… 夏草刈るも」と理解するのがよいと思われる。
 
月刊国語教育研究   (494) 50-57   2013年6月   [査読有り]
明治に至るまで文学史の上で和歌が占めてきた位置は高く、なかでも文化の基盤をなしてきた『古今和歌集』は伝統的な言語文化というにふさわしい作品である。だが、教科書では抜粋された代表歌が五六首扱われるだけである。十七首というあまり多くない歌数からなる「梅の花」歌群を読むことで、教室で『古今和歌集』をそのよく工夫された配列から知的に楽しく読み味わう事例を示した。
 
日本語と日本文学   (52)    2011年2月   [査読有り]
後撰集は古くから未定稿説があり、歌の排列も未整備であると言われてきている。が、近年では四季部には独自の排列方針があることが指摘されている。これまであまり扱われてこなかった後撰集の末二巻、とくに巻二十の「慶賀」「哀傷」の歌の排列を検討し、詞書によることで編者の歌群構成の意図が見出せることを確認する。

MISC

 
 
福田 孝   
武蔵野大学日本文学研究所紀要   (第三号) 3-16   2016年3月   
堀河本『後撰和歌集』には親本以外の「イ」本による書き入れが515箇所・「正」本による書き入れが11箇所ある。二荒山本・雲州本・承保三年奥書本・伝坊門局本・定家天福本と比較検討して「イ」本の性質を探った。結果、混態本である堀河本が堀河本本来の本文を持つ巻十四までは堀河本が特異な本文を持つこと、「イ」本本文は定家本の本文に比較的近いことが確認された。
 
福田 孝   
武蔵野大学日本文学研究所紀要   (二) 3-18   2015年3月   
非定家本の完本が五本しか伝わらないなか堀河本『後撰和歌集』は貴重な写本である。本論では、見消によらない書損訂正箇所・付箋・付箋跡・おびただしい量の書き込み(全572箇所)について確認検討して親本の本文を正確に決定する材料を得た。補入箇所に縦二点記号・見消箇所に横二点記号・親本の本文訂正に平仮名・異文の本文提示に片仮名、といった綿密な書写方針が確認できる。また、杉谷寿郎がかつて指摘した混態の様相についても再確認し、巻一から巻十四までが堀河本の本来的な本文であることも確認した。
 
福田 孝   
武蔵野大学日本文学研究所紀要   (1) 94-103   2014年3月   
高校の教室で古文は不人気である。原因の一端に読みにくい古文の活字本文があると思われる。写本では連綿・分かち書き・墨継ぎによって語句の句切れが示されており、これらは活字化になじまない。加えて古文の文はだらだらと長いことが多いのに、語句と語句との小さな切れ目を示すために読点が用いられることが多く、大きなまとまりを示すための読点との区別が出来ず読解に苦労する。以上を意識したうえで学習者にとって読みやすい活字本文を作ることは可能と思われる。
 
武蔵野文学館紀要   (3) 153-166   2013年3月   
現代日本語の文章では和語四割・漢語五割が占めるのに対して、平安時代に書かれた『源氏物語』『枕草子』『古今和歌集』といった作品では和語の使用が九割以上を占める。和語で古典作品が書かれていることを認識させることが古文学習には効果的と思われる。和語に平仮名を宛て漢語に漢字を宛てる活字本文を見せることによって、生徒は器としての伝統的な言語文化を認識できるようになるのではないだろうか。
 
「国文学 解釈と鑑賞」別冊「源氏物語の鑑賞と基礎知識」No.6「東屋」      1999年6月   
宇治十帖後半の中心人物浮舟が育った「常陸」の地を巡る設定で、筑波山・河内郡家跡・常陸国府跡・鹿島神宮を訪れる。『源氏物語』作者が浮舟を東国の賤しい育ち(陸奥に四年、常陸に四年)にしたのは鄙の環境での無垢な育ちゆえの「まどふ」人生にするためではなかったかと思われる。

書籍等出版物

 
 
ひつじ書房   2015年10月      
一定量の古文の文章を例挙・読解していきながら、一章ごとにその章の話題について説明をしていく。ほかの古文作品の文章を読むさいにも応用できるよう、なぜそういった知識が必要となるのかに重点を置いて古文読解の進め方について分かりやすく説明する。全十二章からなる。歴史的仮名づかい・音読・大和言葉を多く用いる古文の文章・長い一文が多い・疑問文・係り結び・動詞の活用・助動詞・準体用法・敬語・和歌の読み方など。(239頁)
目次副題は以下のとおり。「第一章 歴史的仮名づかいと音読の仕方 第二章 古文の文章...
 
石埜敬子, 中嶋朋恵, 加藤静子, 川島絹江, 谷口孝介(担当:共著)
至文堂   2002年11月      
鑑賞欄・基本用語・語句解釈・補助論文の分担執筆
監修 鈴木一雄、編集 石埜敬子、著者 中嶋朋恵・加藤静子・川島絹江・谷口孝介・福田孝
「右近は一人か」 浮舟の女房右近は東屋巻と浮舟巻とで同一人物か否かが問題視されているが、異なる二人の人物を作者は意図的に同一人物として扱っている可能性が高い。
「右近と侍従」 浮舟の女房右近と侍従とはその後の浮舟の運命に大きく作用する女房として意図して対比的に描かれている。
「浮舟と雨」『源氏物語』以前の物語で雨はほとんど描かれることがなかったが、『源氏物語...
 
書肆風の薔薇   1990年2月   (ISBN:4891762349)   
『源氏物語』を、主題論の立場からではなく、ロシア・フォルマリストや記号論者の主張に拠りながら、いかに述べているかという立場(読者への働きかけを重視する立場)から考察検討すると、<場面>空間の設定の仕方・視点の利用法・「手紙」の利用法・巻の構成の仕方等、第一部から第二・三部へと大きく変化しているのが分かる。数珠繋ぎ的手法から玉突き型手法へといった変化があり、作品構成の方法にも多様性が確認できる。(213頁)

講演・口頭発表等

 
 
全国大学国語教育学会 第122回 筑波大会   2012年5月27日   全国大学国語教育学会   
コンピュータを教室に導入する施策に伴って2000年に小学校の国語教科書にローマ字の学習が復活した。子音と母音とを区別しない音の体系を持っている日本語の入力にローマ字入力が最適かどうかが検証されたうえでではない。スマートフォンやタブレットの普及により音声認識・手書き認識による文字入力が可能となってきている。中学生へのアンケート結果に基づきながら、デジタル機器への文字入力は教育の場においてどう扱われるのがよいか再考すべき時期が来ていることを論じた。
 
和歌文学会 六月 関東例会   2009年6月20日   
承保三年(1076)奥書本は古い完本でその本文は大変貴重なものとされている。が、巻名表記が巻十六以前と以後とでは異なる、巻十四1054番歌以後では本文的に近いとされる定家本との本文差が大きくなる・詞書と詠み人とが未分化の古い様態のものが多い・記されるべき朝臣も官名も記されない人物がある、これらから混態本と推され、承保三年という奥書の記載は1054番歌以降に関わる可能性が高い。
 
日本国語教育学会 第3回言語部会   1997年1月18日   
中学生に漢字のみで作文を書かせると、すべて表意文字として漢字を用いたもの・表意文字としての漢字を主体としながら助詞に音仮名を用いたもの・すべて表音文字として漢字を用いたもの、が出てくる。印刷した何編かの作文を読みつつ、三通りの書記法があることを理解し、音声への置き換えやすさ・文意の理解のしやすさからそれらの特徴を理解する。万葉歌にも三書記法があることと対比しながら、自分たちが使用している現代日本語の書記法の様相を理解させた。

所属学協会

 
 
   
 
解釈学会
 
   
 
国語教育学会
 
   
 
全国大学国語教育学会
 
   
 
和歌文学会
 
   
 
日本語学会

Works(作品等)

 
 
2001年10月   その他
平安期において夢は第三者からもたらされる予兆と考えられていた。予兆であるにも関わらず、物語にあってプロット展開等に利用された例はほとんど見出せない。しかし『源氏物語』には夢の事例が頻出するとともに、プロット展開や登場人物の造形に積極的に用いており、特異である。また、後世には夢を物語の枠に用いる夢落ちの手法があるが、平安期には「となむ語り伝へたる」という言辞があるためかこの手法は見出せない。pp.71-89(担当箇所は単著)
 
1997年2月   その他
『竹取物語』前後の作品の文章では、過去時に関わる示し方として、伝説伝承で「けり」を多用するやり方・漢文訓読の史書で原形のみで記すやり方・「経(釈迦言行の説話)」で話の冒頭と末尾にだけ「き」を用いるやり方などがある。『竹取物語』では「経」に近いやり方で、最低限の「けり」叙述によって伝承であることを示すやり方を採用しており、これが『源氏物語』などでも踏襲されている。pp.477-495(担当箇所は単著)
 
1995年3月   その他
過去の助動詞「き」について従来の学説を整理した上で平安期作品から具体例を検討していく。発話時を起点とする過去用法(いわゆる、話し手の直接体験の過去を述べるもの)のほかに、叙述内容時を起点とする過去用法も確認できる。二つの用法を統一的に考えることは可能であると思われ、これによって語りの立場から『枕草子』などの作品を分析することが可能となる。