| 研究者業績
| 研究者氏名 | 田中 教照 |
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| タナカ キヨウシヨウ |
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URL | |
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所属 | 武蔵野大学 |
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部署 | 通信教育部人間学研究科人間学専攻 |
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職名 | 教授 |
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学位 | 博士(東京大学) |
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J-Global ID | 200901065685537039 |
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経歴 2014年4月 - 現在 武蔵野大学大学院仏教学研究科 仏教学専攻(博士後期課程) 教授
2009年4月 - 現在 武蔵野大学 大学院通信教育部人間学研究科 研究科長
2009年4月 - 現在 武蔵野大学大学院通信教育部人間学研究科 人間学専攻 教授
2007年4月 - 現在 武蔵野大学 通信教育部 部長(学部長含む)
2003年4月 - 現在 武蔵野大学(学校名変更)大学院 博士後期課程 教授
学歴 - 1976年3月 東京大学大学院 人文科学研究科 印度哲学印度文学専攻
- 1974年3月 東京大学大学院 人文科学研究科 印度哲学印度文学専攻
- 1971年6月 東京大学 文学部 印度哲学印度文学科
委員歴
1989年4月 - 現在 パーリ学仏教文化学会 理事
論文 真宗教学研究 (32) 2011年11月 原始仏教の念Sati について論じ、それが中国、日本の浄土教につながって親鸞の念仏にいたっていることを明らかにした。
MISC 人間研究 (第3号) 12 1998年3月 最初期の仏教文献において、身体がどう見られているかを検討した。その結果、「老いと死を免れないもの」としての身体、「われとわがもの」として執着される身体、「気をつける」ことの基礎をなす、修業的視点から見られた身体という三つの身体に関する見解が明らかになった。特に、第三の修業的視点からは、身体の不浄性が強調され、さらに、心の安定と統一のための身体の呼吸法が重視されていることが明らかになった。
人間研究 (創刊号) 16 1996年3月 親鸞の妻、恵信が末娘に宛てた手紙の中に語られた親鸞の宗教体験と、それを通して知られる親鸞自身の人間観を明らかにした。親鸞が「悪道にもついていく」と決心した理由として、自身への深い罪業意識があったこと、また、「まはさてあらん」と自己を振返った時の心境に修業が無効であることを痛感した自身があったことを指摘し、親鸞には徹底した加害者として人間存在を見つめている点を明らかにした。
武蔵野女子大学仏教文化研究所紀要 (第9号) 19 1991年3月 平成 3年 3月31日。衆生(生けるもの)に関する浄土真宗の伝統的解釈が現代人の感性と齟齬を生じている点を指摘し、仏教学の立場から新しい解釈の可能性を検討したもの。伝統的には衆生の悪を仏の教えに反することと解したが、それでは、仏の教えに反する者がどうして救われるのか教えに反することと救いとに矛盾が生じるので、この悪は社会的悪の自覚と捉えねばならないという点を示した。
淳心学報 (第8号) 40 1990年6月 平成 2年 6月10日。最初期仏教の文献である『スッタニパータ』『ダンマパダ』『テーラガーター』『テーリーガーター』と大乗仏教経典『無量寿経』における信を示す用語の使用例を列挙し、その最初期の意味と後の大乗仏教における意味の変遷について検討したもの。すなわち、最初期にはsraddhaとprasadaに大きな意味の隔りはなかったが、『無量寿経』ではprasadaの方に重要性がシフトしていることを論考した。
書籍等出版物 田中教照, 木場英俊, 末木文美士, 芥川博通(担当:共著) 平凡社 1999年7月 浄土真宗の妙好人の代表として、浅原才市と鈴木章子をとり上げ、戦前と戦後の時代における生死観の相違と共通性を比較しつつ、浄土真宗信仰者の生死観を教義と関係づけて論述した。 |
山喜房仏書林 1998年7月 親鸞が追求した宗教がどのようなものであったかを、現代人にわかりやすく解説した書。親鸞のいう「罪業」が「加害性」という意味であることを述べ、そこから親鸞の人間観を明確にした。また、親鸞の宗教のキーワードともいうべき、念仏、信心、浄土などについて、現代的視点から論じ、日常生活に密着した視点からの宗教の必要性を明らかにした。
(総頁数180頁) |
山喜房仏書林 1993年5月 平成 5年 2月25日初期仏教の修行のプロセスに関する研究。原始仏教経典から初期アビダルマ文献に至るまでの資料を検討し、そこにみられる修行のプロセスに関する論述の歴史的展開を論じ、漢文文献とパーリ文献の比較研究によって、初期アビダルマ文献の成立事情の考察に及んだもの。初期仏教における修行の研究を体系的に論じた最初の著書。博士請求論文を公開したもの。
(総頁数464頁) |
田中教照, 雲藤義道他(担当:共著) 教育新潮社 1993年3月 人間関係を親鸞の思想にしたがって考察したもの。親鸞の阿弥陀仏論が従来の解釈と異なるところから、親鸞は人間関係を自己中心的でなく、自己反省的にみて、他者を尊敬する関係構造で捉える。それは他者存在というものは自己のなかに存在を現わすのであって、客観的に存在するのでないからである。担当:人間関係の親鸞的研究。
(総頁数740頁中、7頁を担当) |
田中教照, 梶山雄一(担当:共著) 岩波書店 1989年10月 小生は「戒・定・慧」を担当し、初期仏教の修行のプロセスを戒と定と慧の三段階として捉え、その特色について、南のパーリ文献と北の漢訳文献の両文献について検討しその相違について論じた。担当:「戒・定・慧」。
(総頁数407頁中、22頁を担当) |
教育内容・方法の工夫
件名 | 教育方法の実践例 |
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概要 | 授業を、テーマを与えて考えさせる、発表させて皆で考える、最後にまとめと解説をし、全体の理解を深める、といった形式でわかりやすい方法で進めている。 |
その他(教育上の能力)
件名 | 武蔵野女子学院学院特別研究費採択 |
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年月日(From) | 2005/04/00 | 年月日(To) | 2006/03/00 | 概要 | 仏教・人間・科学の総合的研究−現代に開かれた仏教学の構築を目指して−(共同:代表者)17年度100万円、18年度130万円 |
件名 | 武蔵野女子学院学院特別研究費採択 |
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年月日(From) | 2006/04/00 | 年月日(To) | 2007/03/00 | 概要 | 仏教・人間・科学の総合的研究−現代に開かれた仏教学の構築を目指して−(共同:代表者)17年度100万円、18年度130万円 |
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